スイスの時計産業の発展に世界市場への輸出は欠かせませんでした。輸出国の需要について念入りなリサーチがなされ、スイスの時計は好評を博しました。

輸出による世界的なスイスブランドの確立

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ペルレやブレゲといった天才職人たちを多数輩出したスイスの時計産業ですが、自動巻きの発明や永久カレンダーフライバッククロノグラフなどの複雑な機構を次々と開発するスイスは時計王国の地位を揺るぎないものとしていました。
スイス時計産業にとって輸出に力を入れることは世界にスイスブランドを広めるために重要なことでした。
なかでもアジアは注目の市場でした。
18世紀半ばには清朝時代の中国においてスイス時計が人気となり、1810年から1820年の10年間は輸出のピークとなりました。
スイスの時計産業はその世界的な信頼度の高い精密な時計の製作技術に甘んじることなく、需要に対するリサーチも欠かさなかったようです。
例えば中国では風土的に贅沢仕様が好まれますが、当時の時計もしかりで顧客の好みに合わせた贅沢スタイルで時計が製作されました。
また音楽に合わせて仕掛けが動く時計がトルコと中国では好まれることや、中国では贈答品にペアセットを贈る慣習があったことから中国向けにはペア時計の需要が高いことなどもリサーチされていました。
イギリスの時計産業でも同様にペア時計の中国向けの輸出を多く扱っていましたが、スイスのメーカーでは2つの時計のデザインを左右対称にするなどのこだわりのデザインが評価され人気も高かったようです。
19世紀にはインド向けの輸出も盛んとなり、インドから送られてきた肖像写真をエナメル加工で加工したラジャ時計を製造すると、大変評判が良かったようです。
このように現地の需要に応じた時計の製作をすることで世界からの評判も上々の頃、時計メーカー、ヴァシュロン・コンスタンタンの社長であったジョルジュ・オーギュスト・レショが、低コストで高性能の時計の部品を製造する機械を設計し、19世紀のスイスの時計産業の好景気に貢献しました。
しかし、19世紀後半には部品の大量生産の技術を得たアメリカの台頭や日本の時計メーカーによるクオーツ時計の登場もあり、スイス時計産業は大打撃を受けます。
このような経緯もあり、スイスでも大量生産に本腰を入れ20世紀初めにはカレンダーやストップウォッチなどの付加機能をつけた時計を発表するなど復活を目指しました。
精巧に製造されたスイス産ブランドに対する安定した信頼感は根強く、1980年代に入ると精度ではクオーツ式に及ばないものの熟練工の携わる技術力が評価され、スイス製の高級機械式腕時計の人気は再び確かなものとなりました。

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