世界的に天才時計師として認められるブレゲですが、時計に関わる様々な新技術を開発し時計産業をけん引しました。

天才時計師ブレゲの活躍

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時計職人として最も有名なのがアブラアン・ルイ・ブレゲ(1747〜1823)です。
ブレゲは「歴史上もっともすぐれた時計職人」と呼ばれ様々な新技術を開発し世界の時計産業の先駆者となりました。
スイス出身のブレゲですが15歳時に時計師の養父の紹介でフランスのベルサイユにて修行、その後ロンドン生活を経て、最終的にはパリに定住します。
1775年パリのシテ島に時計店を開き、当初は故郷ジュラ地方で製作された安価な部品で組み立てた時計を売っていました。
しかし1780年にアブラハム・ルイ・ペルレの開発したねじ巻き時計を改良した懐中時計を製作すると王侯貴族から注文が殺到し、またたく間に有名時計師の仲間入りを果たしました。
後には王室御用達の時計師として活躍することとなり、フランス王妃マリー・アントワネットからも注文を受けましたが、それは大変美しく複雑な時計の製作でした。
アントワネット注文の時計NO.160は完成までに20年弱を要し、途中1789年のフランス革命によって王侯貴族の時代は終焉し王妃アントワネットが使用することはかないませんでしたが、1802年に完成したその時計は、現在、美術館から盗みだされてしまい行方不明のままとなっています。
ブルジョア市民階級の時代が始まると王室御用達の時計師であったブレゲはフランスを去り故郷のスイスに戻って時計製作と新技術の開発に集中しました。
1795年には再びパリにもどると新しいアイデアを次々と実現します。
その中で当時の裏事情を知るような面白い発想のものとして、パーティーの同席者に気づかれずに時刻がわかるという時計「モントル・ア・タクト」の開発があります。
この時計はブルジョワ階級で大ブームとなりました。
また彼はムーンフェイズと呼ばれる月が書かれた円盤で月齢を表示する機能や機械式時計「トゥールビヨン」の開発でも有名です。
トゥールビヨンは、時計を狂わせる原因となる重力による誤差を補正するため、主要な部品群を一定方向に乗じ、ゼンマイを一定の速さで回転させて一か所に重みがかからないようにしたもので非常に複雑な機構と高度な技術が要求されるものでした。
他にも「永久カレンダー」「シンパテックス」といった複雑時計の開発、1815年にはトルク減衰のないマリンクロノメーターを開発しフランスの王立海軍時計師に認定されました。
また穴の開いたシンプルなブレゲ針、アラビックのブレゲ数字といったものもブレゲの功績によるものです。
ブレゲの顧客にはフランス王室、ナポレオン・ボナパルト、トルコ皇帝セリム3世、アメリカ初代大統領ジョージワシントン他、各国の王侯貴族と華麗なる名が連なります。
装飾に重きを置いた貴族向けの時計だけでなく、市民社会からの実用性、機能美などの需要にも応えるものを作製したブレゲ、顧客名簿に劣らない華麗なる新技術とアイデアの開発歴は、まさに時計製作の天才といわざるをえないでしょう。

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