時計産業が発展していくと共にスイスの時計師の活躍の場は増え、世界に輸出を始めることで世界的な時計産地の名をとどろかせることになりました。

スイス時計産業の発展

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18世紀に入り欧州を中心に時計産業はますます発展し、イギリスやフランスでは海洋精密時計であるマリンクロノメーターの開発や、王侯貴族のために高級時計を製作することが中心となりました。
貴族たち向けの時計は大変装飾性の高いものであり、宝石や象嵌の装飾のある置時計や鳥かご時計、からくり人形など芸術性が高いものが好まれ、製作する上で非常に高い技術を要するものばかりでした。
一方スイス国内では、当時普及していた懐中時計の生産が中心的であり、エボーシュと呼ばれる規格化されたモデルはイギリスやフランスに輸出されることもあったようです。
時計産業の発展にともなって確実な需要と供給量の増加があったため、それまでは一人の職人が最後まで一つの時計を仕上げる方式であったのを、分業で担っていくシステムに変化してきたのもこの頃でした。
フランスと国境を接するジュラ山脈に囲まれた渓谷に位置するスイスのジュラ地方は時計の主要な生産地ですが、ここでは兼業農家という形式で時計作りをしていることも多く、農作業のない冬の間に時計の部品を製作していたといわれています。
このように時計製造者たちの環境にもいろいろなスタイルが出てきた頃ともいえそうです。
スイスで時計に携わる者が増え産業として発展してくると、時計を輸出品として活用しようという動きも出てきました。
そして輸出先の国まで出向き、その国の需要や好みなど現地調査をしっかり行ったようです。
スイスの時計メーカーは当初フランスやイギリスの時計のコピー製品などを効率的に製作することで低価格なものを生産する傾向にありましたが、時計産業が安定してくると独自のモデルを作り始めました。
そして空気の澄んだジュネーブ郊外には時計作りにいそしむ小さな工場や家庭つき工房などが点在することになります。
ジュネーブの時計職人たちは、過去に金細工師の多かったその歴史的背景から装飾性を重視し、1760年にはジュネーブでエナメルコーティングの絵付けの技術が開発されると、時計にさまざまな絵付けがなされデザインの幅がひろがっていきました。
このようにして時計作りが街の姿ともなったジュネーブでは、各工場において装飾性や精密性にすぐれた時計をつくりだし、それらを輸出することで全世界にその時計産地の名をとどろかせるに至りました。
そして着実に時計産業が進歩していく中、職人としての高い技術を磨く世界的に有名な時計師がこのスイスから多く輩出されました。

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