スイスのジュネーブが時計産業の町となる由来として、1500年代の宗教改革が関係しています。

宗教改革で始まったスイスの地場産業の歴史

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高品質の時計の産地といえばスイスがあげられます。
一般的にはスイス産の時計ときくと職人たちによる精密なつくりと歴史の深さのようなものをイメージすることが多いようです。
このスイスにおける時計産業の発展には、意外にもヨーロッパの宗教改革という歴史的背景を抜きにして語ることはできません。
当時のヨーロッパでは、北イタリア、南ドイツ、フランスを中心に、すでに家庭用の置時計や掛け時計、懐中時計などがすでに作られていました。
一方スイスではまだ時計作りが盛んではありませんでした。
陸に囲まれた土地柄のためかスイスは他国よりも時計作りについて遅れて始まったといえます。
その代わり宝飾細工品の製作がもともと盛んな地でした。
スイスの時計作り産業の始まりは、1517年から始まった宗教改革によるところが大きいです。
宗教改革とはマルティン・ルターがカトリック教会の腐敗に対して起こしたキリスト教の改革運動ですが、その運動のフランス語圏での中心的人物がカルバンでした。
カルバンはスイスのジュネーブで改革ののろしをあげた人物とされています。
フランスでのカルバン率いるカルバン派のグループ(ユグノーと呼ばれる)とカトリックとの争いが激しいものとなり、鎮静するため1598年にフランス国王により新教徒の信仰の自由を認めるナントの勅令が出されました。
しかし、混乱は続き各地で宗教的な迫害もあったためユグノーの多くはフランス国外へと逃避せざるを得ませんでした。
その逃避先の一つが、カルバンの町ともいえる「ジュネーブ」だったのです。
フランスからやってきたユグノーの多くは綿織物や染色技術、印刷術、そして時計製造術をみにつけた手工業者でした。
そのような彼らの製造技術に目をつけたのが地元ジュネーブの金細工師など宝飾細工品の技術者たちです。
なぜなら当時カルバンの改革は教会だけでなく一般市民の生活にまで及ぶものとなっており、装飾品などの贅沢品は制限されていたため彼らは贅沢品をつくることができず生計が厳しくなっていたからです。
彼らは時計製造の技術をもつユグノーたちから助けをかり時計作りに転じていきました。
1685年にナントの勅令が廃止されると、再び多くのユグノー達がジュネーブへと逃げ込むこととなり、すでに組織化が進んでいたジュネーブの時計工業はさらに発展していくこととなります。
やがて、カルバン派の戒律が緩められ、それまで制限されていた装飾工芸がジュネーブでも復活することとなりました。
この頃には時計作りの土壌は出来上がっていたので、元来の得意分野である装飾性を融合させた「美しい時計」が作られるようになり、ジュネーブを代表する工芸品となったのでした。

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